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- 概要
- 山村暮鳥『りんご』で討論を仕組む。主発問「話者は幸せか」で白熱した討論ができた。(TOSS福井推薦)
りんご
山村暮鳥
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかへきれないこの気持
林檎が一つ
日あたりにころがつてゐる
何回か読ませながら、黒板の字を少しずつ消していく。
最後には暗唱できるようにする。
「話者」について知らない生徒が多かったので、『吾輩は猫である』を例に、簡単に説明した。
書けたらノートチェック。
丸をつけ、板書させる。
黒板いっぱいになったら順に発表させる。
全員書けたら、
全員座るまで続ける。
書けたらノートチェック。
ほぼ全員が「かかへきれないこの気持」の後で区切っていた。
1名だけ「林檎が一つ」の後であった。
全員チェックしたら理由を発表させる。
「前半は話者の気持ち。後半は風景。」という意見が多い。
理由・根拠は箇条書きやメモでも良いと告げた。
書けたらノートチェック。
丸をつけ、板書させる。
黒板の中央に「発問」を書き、「幸せ派」と「不幸派」を左右に分けて書かせた。
人数はほぼ半数ずつになった。
黒板いっぱいになったら順に発表させる。
1人の質問から討論が始まり、約25分、話し合いが続いた。
- 生徒の作文
- この詩の話者は幸せなのだと思う。抱えきれないこの気持ちというのは、自分のうれしい気持ちを表していると推測する。それで、林檎という赤のイメージと日当たりという明るいイメージから、抱えきれなかったその気持ちを一つだけ落としてしまった林檎に例えているのである。一つだけというのは、孤独感やさびしさを感じさせるかもしれない。それは、頑張って抱えようとしている話者の気持ちを感じさせるのである。だが、あえて一つにしたのはなぜだろう。よく考えると、不幸せのような気もする。日あたりに、りんごが一つころがっているというところから、話者は日かげにいると推測される。日かげというと、暗いイメージがある。話者は、日あたりにころがっている一つの林檎をうらやましいという思いを感じさせる。
- 生徒の作文
- 僕は、この詩については、幸せな気持ちも、不幸な気持ちも、どちらともいえるのではないかと思いました。僕は最初、幸せだと思ったけど、前半でも「かかえきれないこの気持ち」を不幸な気持ちと幸せな気持ちで考えるかは人それぞれだし、後半の部分では、「林檎が一つ」というのが、孤独というイメージもあるなあと思ったけど、その次に、日あたりという明るいイメージを思わせるようなことが書いてあり、どちらも想像できると思いました。討論でも、どちらで考えても説得力があるようなことを言えるので、僕はどちらもいえると思いました。でも僕は幸せだと思いました。かかえきれないこの気持ちを幸せな気持ちと思ったからです。それで、林檎はその気持ちをかかえておきたいけど、かかえられないというのが伝わるからです。
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