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主人公の少年が、川で雑魚を釣りながら「えびフライ」とつぶやいている場面を、数回音読する。
すべての意見を出させる。
など。
見本を板書する。
少年は、父親が盆土産に買ってくる「えびフライ」がとても気になっている。それは「どうもそいつが気にかかる」(P77・L17)という所から分かる。「父親がわざわざ東京から盆土産に持って帰る」(P79・L7)ことに対して、「とびきりうまいものにはちがいない」(P79・L7)と期待する一方で、少年はえびフライというものを「まだ見たことも食ったこともない」(P78・L14)のである。だからこそ、「正直いって土産が少し心もとなかった」(P78・L13)のである。これは、土産の中身が正体不明なため、期待と不安の入り交じった気持ちであることを表している。
本文を引用して、それに解説・解釈を加えるという基本形を教える。
主人公の少年が、「隣の喜作」に出会う場面を、数回音読する。
すべての意見を出させる。
など。
父親に買ってもらったらしい土産を自慢したい気持ちである。
喜作は知らない。
見本を板書する。
少年は喜作に「えびフライ」とだけ言って、何の説明もしていない。これは、えびフライのことを知らない喜作に対して、自分は知っていて、しかもそれを今晩食べられるという優越感を得るためである。喜作は「真新しい、派手な色の横縞のTシャツ」や「何連発かの細長い花火の筒」(P82・L11)を土産にもらったと考えられる。「偉そうに腕組みをして」(P82・L15)少年を見ている喜作は、当然その土産を自慢するに違いないから、少年は「土産は何かと聞かれる前に」(P82・L18)「えびフライ」と言って先手を制したのである。
書けない生徒には、「写すのも大事な勉強です。写しているうちに自分で書けるようになります。」と声をかける。
主人公の祖母が墓の前で「えんびフライ」とつぶやく場面を、数回音読する。
祖父は分からない。母親はなかったと考えられる。
うまいと思っていると考えられる。
見本を板書する。
祖母は念仏の合間に「えんびフライ」とつぶやいた。これは、えびフライを食べたことを、亡くなった祖父と母親に報告していると考えられる。祖父は分からないが、母親はおそらく「あんなにうまいものは一度も食わずに死んだ」(P86・L8)と思われる。祖母は昨晩、えびフライのしっぽまで食べようとした(P84)ぐらい、えびフライのうまさを味わっている。自分だけそんなにうまいものを食べて……(板書ここまで)
すべてを一気に板書せず、生徒の様子を見ながら書いていく。
この時は、最初の二文だけ書いて、あとは考えさせようとしたが、書けない生徒が多かったので、続きを板書した。
「……」の続きは自分で考えて書くように指示し、書けた生徒からノートチェックをした。
最後に、自分で考えて詳しく書けている生徒を数名立たせて発表させてほめた。
主人公の少年が父親と別れる場面を、数回音読する。
最後なので自力で挑戦するように指示する。
書けた生徒はノートを提出し、国語のワークをやっているように指示。
以下、生徒の書いた解説。
少年は、「さいなら」と言うつもりだったが、うっかり「えんびフライ」と言ってしまった。このことから、「また買ってきて」というのを言いたかったが、ためらって言えず、でも頭の中では「えんびフライ」が忘れられずにいたため、つい出てきてしまったのだと考えられる。P87・L7の「いつもより少し手荒くて、それで頭が混乱した」という所から、少年が頭をなでられた時に「もう言えるチャンスがない」と少しあきらめていたために、よりいっそう「えんびフライ」のことが頭から離れなくなってしまったのである。それから言ってしまい、お父さんが苦笑いしたところまでは後悔の気持ちでいっぱいだったが、P87・L17「また買ってくるすけ…。」と言ってくれて安心したという気持ちと、今度の正月が楽しみになったという気持ちが読みとれる。
少年は、父親と別れる時「えんびフライ」と言った。しかしそれは「えびフライ」が食べたいということではなく、父親と別れるさみしさを隠そうとして、何か言おうとしたら「えびフライ」と言ってしまったと考えられる。これは、P86・L15「なぜだか不意にしゃくり上げそうになって、とっさに『冬だら、ドライアイスもいらねべな。』と言った。」という所からも分かる。父親とはもう、正月まで会えないという気持ちを隠すために、つい、そういう言葉が出てしまったのだ。少年は、父親と別れるのが、本当にさみしいと思う気持ちなのだということが分かる。
少年は、「さいなら」と言うつもりだったが「えんびフライ」とうっかり言ってしまった。これは、父親がいつもより手荒くて、もしかするともう帰ってこないのかもしれないと思い、頭が混乱したからだと思われる。えんびフライと言ったのは、父親が帰ってくることの象徴だからである。「えんびフライ」には、少年の、また帰ってきてほしいという思いがこめられていると考えられる。母を失った少年だからこそ、父親を大切に思っているのだろう。
ほとんどの生徒が、自力で主人公の気持ちを説明することができた。
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